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教えて住職!!「心を穏やかに保つ指針 前編」

「心を穏やかに保つ指針 前編」〜 六波羅密 布施・持戒・忍辱 〜

Wellness Life Channelの新企画「学びの種」は、様々な方にインタビューを行い、「生活を快適にする知恵と知識」をお伝えしていく企画。

インタビューは、寶樹山 常在寺 駒野教晴住職

東京都世田谷区の閑静な住宅街にある寶樹山 常在寺。

1506年室町時代から続く由緒あるお寺の第36代 駒野教晴住職。悩みや苦しみの渦中にいる人々の心の奥深くに救いの言葉を届けることができるかを模索し続ける若き僧侶から“心身ともに健康で穏やかに生きる方法”をみなさんにお伝えしていくシリーズ。

今回は、私たちが心晴れやかに穏やかに過ごす教えを住職に請う。

〜 六波羅密 布施・持戒・忍辱 〜

「仏教は私たちの日頃の行動となる指針となるような、また、自分の心を穏やかに保つための自分との向き合い方として六波羅密という修行があります」

六波羅蜜ということは全部で6つの教えがある。

今日は、前編として3つの教えについて講う。

「1つ目の修行は、お布施になります」

お布施と聞くとお寺に金銭を奉納するイメージだが、相手に施すことによって安心を与えるという。

なぜ「ふせ」は、「布」を「施す」と書くのか?

駒野住職曰く、お釈迦様が寒い日に外を歩いていると、貧しい信者がすれ違いに自分の服を破いてお召し物の足しにしてほしいと渡されたそうだ。貧しい信者達から布を施されることが続き、布の束ができた時に、自分に施しをしてくれた信者からの気持ちを絶対に忘れてはならない思い、布をひとつひとつ縫い袈裟を作った。故に「ふせ」は「布施」と書く。

今回のインタビューで駒野住職が着けているのは、和袈裟(わげさ)という少し簡易的な袈裟である。法事や葬儀で宗派によって異なるが、僧侶の袈裟を見て欲しいという。布施の語源のルーツであり、袈裟は、1枚でできていなく必ず縫い目があるそうだ。

布施の修行 財施・和顔施・愛語施・心施

お金を施すことを財施(ざいせ)と言い、お布施は“物”以外に、和やかな笑顔、和顔施(わがんせ)というのもある。また、愛のこもった言葉、優しい言葉づかいで人と接する愛語施(あいごせ)。そして、気遣い、心の施しをする心施(しんせ)。

ものだけでなくても、気配りとか笑顔とかね、優しい言葉で接する、これも大切なお布施の修行になります。」

お布施は恩に着せない・相手を甘やかさない

施すことはとても大切なことだが、してはいけない2つのことがあるという。

「恩にきせない」

見返りを求めるのは人間の性。もし、施すと決めたならそれは恩に着せずにキッパリと終えると断言する駒野住職。

「その施す対象をしっかりと見極めなければいけない」

例えば、お金を貸して欲しいという相談があり、その人を助けようと思っても、無駄使いしてしまいそうな自立していない人。

「それは、お金が無駄になってしまうというわけではなく、本当にそれを施すこと(財施)が、その方のためになるのかというとそれはそうではない。それは甘え。厳しい言い方ですけれども、無駄使いしてしまって、また、同じことを繰り返す。その方がずっと苦労してしまうことになる」

持戒 自分との約束を持つことに始まりそれを保つこと

「2つ目は、持戒(じかい)という修行になります」

聞き慣れない言葉である。「いましめ(戒)」を「もつ(持)」と書く。

犯罪を犯さない、赤信号を渡らないというような公共のルールを守ることは当然のことであるが、自分との約束を守ること。例えば、嘘をつかない、ダイエットをするから炭水化物を摂らないというようなことでもいいというが、案外難しいものだ。

「なぜ難しいかというと、その約束事の種類によっては、それを守らなくても人に迷惑がかからないから」

人に迷惑がかからないから甘えが出やすいとは、耳が痛い。

「自分との約束をしっかりと守ってこれだけはしない。これだけはするようにとかそれに準じて、行動をおこなっていると一本芯が通ったような雰囲気、非常にかっこいい、品格のある大人に、素敵な大人になれる」

忍辱 感情に任せて怒らず耐え忍ぶ

「最後に、忍辱(にんにく)という修行になります。」

「これは耐え忍ぶ、というか、忍耐力の修行です。簡単な例をお話しすると、怒らない」

日頃、予期せぬことは人生でたくさん起こり、イラッとしてしまう。ただし、声をだして怒ったり、手をあげてしまったりすると、それは同じ大きさで自分に返ってくると言う。

「周りもその姿を見ていい気分になる人はいないですしね。グッと堪える。ただ、叱るという言葉がある。おこった口調になるときもあるかもしれないが、自分の感情任せではなくて、厳しく諭すことによって、それだけ真剣に相手のことを思っているわけですし、それは、怒りと違います」

叱ると怒るは違う。怒りは自分の感情を発散させているだけ。人を貶めて自分の気持ちを落ち着かせるやり方。

六波羅蜜は、6つの修行である。今回は、布施・持戒・忍辱を教えていただいたが、次回、残り3つはどのような人生修行があるのかと意気消沈。それを察してか、「自分も足りないところがたくさんある」と謙虚にいう駒野住職。最後に、一言「穏やかにお過ごしできるかと思います」まさに、仏道修行をおさめた先にある心境である。

今回は御住職に「六波羅蜜」の教えの中の 布施・持戒・忍辱 についてお話いただきました。

“波羅蜜”はインド・スリランカの古語サンスクリット語で、Pāramitā パーラーミーターと言い、「最上であること」「完全であること」の
意味です。 pāramitāは、pāram(彼岸/あの世のこと)+ita(到達した)となり、波羅蜜の修行によって、彼岸(あの世)に到達できる。
それは「完全なことであり、最上(最高)なこと」という解釈になるようです。

中国やチベットでの解釈になると、 “pāram”(彼方、”pāra” の 業格)+ “ita”(動詞 “i” 行くの過去分詞女性形)と読み、「彼方に行った」
すなわち此岸(しがん:この世、現世のこと)での迷いから、彼岸(ひがん:あの世)=悟りに到るための行為、となります。

六波羅蜜の中の
布施は 檀那(旦那)サンスクリット語では dānaダーナと言い、財物などを施したり、精神的な安心や教えを与えることを指します。
夫のことを「だんな」と言ったりしますが、この「だんな」はダーナから来ています。「分け与える」という意味があるので、
「旦那さん」は、物心共に分け与えてくれる存在なのですね!?

また、布施をする人をダーナパティdānapatiと言い、施主(せしゅ)、檀越(だんおつ、だんえつ、だんのつ)、檀徒(だんと)などと訳されます。菩提寺にお布施をする家を檀家(だんか)と言いますが、この言葉も、檀那、檀越から来たものだそうです。
 
持戒は尸羅(しら)サンスクリット語は śīla シーラと言い、行為、習慣、性格、道徳、敬虔などの意味があります。守るべき行為のことですね。仏教の信徒でも、在家の場合と出家の場合とでは守るべき戒律が少し違うようですよ。

 忍辱は羼提(せんだい)サンスクリット語では Kṣānti クシャーンティと言い、クシャーンティのシャーンティは平和や平安を意味します。
苦難迫害を耐え忍び、動じない安らぎ・平穏を得る為の悟りの行ということです。

*wikipediaから抜粋


このようにしてみると、言葉の伝導の様子や、少しずつ国や地域によって解釈が変化したことなどがわかると面白いですよね。
皆さんも1つ決めて実践してみてはいかがでしょうか。
私は「自分との約束を守る」持戒かな…( ̄∇ ̄)

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